事案の概要
本件は、株式会社が当該会社の会計限定監査役であった者に対して会社法423条1項に基づき損害賠償を請求した事案であり、その概要は以下のとおり。
・上告人(原告)は一般製版印刷業等を目的とする資本金9600万円の株式会社。非公開会社で、取締役会設置会社・監査役設置会社。
・被上告人は、会計事務所の所員である補助者(以下「本件補助者」という。)を通じて、貸借対照表の現預金につき、会計帳簿上の額と銀行発行の残高証明書の写しを照合した。
・本件補助者は、平成19年5月期の監査の際、本件従業員からカラーコピーで成功に偽造された本件口座の残高証明書を提供され、それが銀行発行の残高証明書の真正な原本であると認識していた。
・本件補助者は、平成20年5月期から平成24年5月期までの監査の際、本件従業員から白黒コピーで偽造された本件口座の残高証明書を提供され、それが銀行発行の残高証明書の写し(偽造・変造のないもの)であると認識していた。
・上告人は、被上告人が本件従業員による横領を見抜くことができなかった点について、会社法423条1項に基づき損害賠償を請求した。
原審(東京高判令和元年8月21日金判1579号18頁)の判断
原審の判断の概要
原審は以下の判断枠組みを用いて被告の損害賠償責任を否定した。
会計限定監査役は、「会計帳簿の信頼性欠如が会計限定監査役に容易に判明可能であったなどの特段の事情のない限り、会社(取締役又はその指示を受けた使用人)作成の会計帳簿(会社法432条1項)の記載内容を信頼して、会社作成の貸借対照表、損益計算書その他の計算関係書類等を監査すれば足りる。」
「会計限定監査役は、前記のような特段の事情がないときには、会社作成の会計帳簿に不適正な記載があることを、会計帳簿の裏付資料(証憑)を直接確認するなどして積極的に調査発見すべき義務を負うものではない。」
原審の枠組みの問題点(会計監査実務の観点から)
原審の判断枠組みの理論的な問題については、弥永真生「会計限定監査役は会計帳簿の正確性をチェックしなくてもよいのか」金融・商事判例1582号2頁に詳細な記載があるため、ご参照頂きたい。以下では、会計監査実務の観点から原審の判断枠組みの問題点に触れる。
貸借対照表を含む計算書類には、会計帳簿で集計された各勘定科目の合計金額が記載される。
具体的には、会計システム上、総勘定元帳をベースとして各勘定科目の残高が集計され、これが残高明細表に記載され、残高明細表に記載された各勘定科目の残高が列挙された残高試算表に基づき、計算書類が作成される。
会社が会計システムを利用していることを前提とすると、基本的に、会計帳簿の数字が自動的に計算書類に組み込まれることになるため、原審の判断によると、会計限定監査役がなすべき業務は相当程度限定されることになる。
すなわち、会計システムが総勘定元帳から各勘定科目の残高を集計して残高明細表・残高試算表・計算書類が作成されるため、会計限定監査役は、基本的に、残高明細表・残高試算表・計算書類の金額が一致することを念の為確認することによって業務が完了することになる。
なお、その前提として、経理担当者に対する質問等により、会計システムが適正に管理されているか否か、経営者・従業員による会計システムという内部統制の無効化リスクを検討することが必要となるように思われるが、原審の判断枠組みからすると、この検討すら必ずしも必要ないようにも読めるため、原審の判断枠組みによる会計限定監査役の業務範囲は狭きに失するとのそしりを免れないように思う。
ただし、現実問題として、中小企業における監査役(会計限定監査役)に対して、常に会計帳簿の金額の裏付を取ることを求めることはできず、一定の場合に限定して裏付資料の調査義務を課すという大枠自体は支持すべきものであると思われる。
原審は結論の妥当性に重きを置きすぎた結果、会社法の理論上はやや無理のある判断枠組みを提示することになったということが言えるかと思う。
最高裁は指摘していないが、原審は、原告が、歴代の監査役や取締役の任務懈怠責任を追及することなく、被告にのみ責任を追及していることにつき、信義則違反で権利濫用である旨を指摘しており、価値判断として、原告の請求を認めることには消極的であり、当該価値判断が理論構成にも影響した可能性は否定できないようにも思う。
最高裁判所の判断
本判例の判断の概要
最高裁は原審の判断枠組みを否定し、以下のように述べて本件を原審に差し戻した。
「監査役は、会計帳簿が信頼性を欠くものであることが明らかでなくとも、計算書類等が会社の財産及び損益の状況を全ての重要な点において適正に表示しているかどうかを確認するため、会計帳簿の作成状況等につき取締役等に報告を求め、又はその基礎資料を確かめるなどすべき場合があるというべきである。…以上のことは会計限定監査役についても異なるものではない。」
「会計限定監査役は、計算書類等の監査を行うに当たり、会計帳簿が信頼性を欠くものであることが明らかでない場合であっても、計算書類等に表示された情報が会計帳簿の内容に合致していることを確認しさえすれば、常にその任務を尽くしたといえるものではない。」
本判例の判断の留意点
本判例は、監査役(会計限定監査役)に対して、会計帳簿の基礎資料・裏付資料の調査を常に求めるものではない。
すなわち、会社の内部統制の構築状況を踏まえて不正リスクを検討し、基礎資料を確かめるといった監査手続を取るべき場合に、然るべく手続を取ることを求めるにすぎず、このことは、「会計帳簿の作成状況等につき取締役等に報告を求め、又はその基礎資料を確かめるなどすべき場合がある」という判示に表れている。
「会計帳簿の作成状況等につき取締役等に報告を求め、又はその基礎資料を確かめるなどすべき場合がある」という判示には歯切れの悪さがあり、「では、どの程度の監査手続が求められるのか。どの場合に、基礎資料を確認する必要があるのか。」という問いについて本判例は、明示的な答えを提供していない。
上記の問いに関連して、本判例の以下の判示が参考となる。
「被上告人が任務を怠ったと認められるか否かについては、上告人における本件口座に係る預金の重要性の程度、その管理状況等の諸事情に照らして被上告人が適切な方法により監査を行ったといえるか否かについて審理を尽くして判断する必要があり」
上記の判示は、リスク・アプローチ、すなわち、財務諸表に重要な虚偽表示があるか否かについて意見表明を行うという会計監査の目的に照らして、当該会社の内部統制等を踏まえて重要な虚偽表示が生じるリスクを検討し、当該リスクが高い勘定科目等に監査資源を重点的に投下するという考え方と整合する。
平たくいえば、本判例は、「リスク・アプローチに基づいて会計監査を遂行してください。全ての勘定科目について基礎資料を確かめろというつもりはありません(それが現実的ではないことはわかっています。)。会社の状況に応じて、会計上のリスクを検討して、重要な虚偽表示が起こる可能性のある勘定科目等についてはきちんと基礎資料の確認等の監査手続を実施してください。そういったリスク検討や状況に応じて必要となる基礎資料の確認等をしなかった場合には、責任を問われる可能性があります。」というメッセージを伝えているといえる。
本件に照らしていえば、上告人の貸借対照表の総資産に占める現預金の金額的割合や、上告人の内部統制の状況(経理部の担当者の人数や上長によるチェック体制など)を踏まえて、現預金の会計上のリスク(横領等を原因とした重要な虚偽表示リスク)を検討し、当該リスクの大きさに照らして必要な監査手続を実施することが求められることになる。
以上から、本判例は、監査役に対して、過度な注意義務を課し、重い監査手続の履践を常に求めるものではなく、結論の妥当性に重きを置き会計限定監査役の注意義務・業務範囲を著しく限定的に解釈した原審に理論的な警鐘を鳴らすものであると理解すべきではないかと思う。
本判例の取扱いに関する(極めて個人的な)警鐘
今後、本件の事実関係に照らして、残高証明書の原本を確認すべきであり、残高証明書の原本確認は基本的な手続である旨の指摘や、また、本判例の判示に照らして、残高証明書の原本確認が(会計限定)監査役の監査手続として画一的に必須であるかの如くの指摘がなされることが想定される。
たしかに、会計監査人が実施する会計監査実務上、期末決算の現預金勘定の検討においては、必ず残高証明書の原本(確認状の回答の原本)と残高明細表(銀行勘定照合表)との突合が行われる。
しかしながら、会計限定監査役を含めた監査役は、現実問題として、会計監査に明るいものだけが就任しているわけではなく、監査役のスキルマトリクスには相当程度バラつきがあり、また、現実に手を動かして監査手続を実施することが予定されていないケースも多い(ベストプラクティスと比較して、本件で実施された監査手続が十分であったというのは苦しい側面がある。中小企業においては現預金の重要性がより高まり、せめて現預金の実在性だけでも確認しておくという必要性は高いと思われ、また、経理部門内で牽制が働かないような会社であればなおさらだからだ。そうだとしても、任務懈怠責任を認めるか否かは別論である。)。
理論的な妥当性が追及され、また、監査役による監査実務(特に、内部監査等に依拠できず、また、会計監査人が選任されていない中小企業における監査実務)が深化することは、コーポレートガバナンスの強化による中小企業の競争力の向上に繋がりうる。
そうだとしても、現実から目を背け、(中小企業における監査)実務から乖離した監査手続の実施を、高みの見物をしながら安易に語ることには、なお謙抑的であるべきだろう(本判例は、被上告人の責任を肯定したわけではなく、それは原審が頭を悩ませるべき問題で、私を含めた外部の人間が、事後的に監査手続のベストプラクティスを振りかざすのは適切ではないように思う(個人的に、原審は、本件であるべき監査手続(任務の内容)を検討することを避けるために、やや苦しい理論武装により被上告人(被告)の責任を否定したものと邪推しており、本判例は、原審に対して、先送りした問題に真正面から取り組むよう指示したものとみるべきもので、監査役の注意義務をいたずらに加重する意図はないものと理解したい。)。)。